次の芝居は?

mabikitei2007-10-31

さあ次の舞台はこれさ!
「ベッドルーム・ファース」
慌ただしく決めて動いているから、ミスばっかりしてる。
制作でも後手後手になっちゃってポカばかりしてるし、
芝居の方もまだまだ手探り状態だから全然ダメ。
こうなるともう役者と制作を一緒にするのは無理、、、だね。
規模が大きいと役者に集中が出来ないんだ。

 
 
 今から18年前だけどさあ〜僕は先輩役者と劇団を作ったんだ。
僕が台本を書いて、二人で演出をした二人芝居が旗揚げ作品だった。
今でもそうだけど戯曲なんて書けるはずもないのに、頑張って書いたよ。
思い出すと恥ずかしくなる内容の芝居でした!
 あの当時の稽古は熱田区にあった青年の家という所の教室を借りてやりました。
地下鉄で六番町で降りて更にそこから15分ぐらいは歩いた場所にあったの。
(今でもまだその場所にあるのかな?)
当時は一宮市に住んでいたから電車を乗り継いで1時間30分くらいかかったね。
 二人芝居だから稽古も二人っきり。
土、日の稽古は午後からやったけど、たまに先輩役者が遅れて来てねぇ〜、
待ちぼうけを食らったよ。でも全然憎めなかったね。
あの当時、宮澤さん(あっ実名出しちゃった〜笑〜)は独り暮らしで
毎朝、新聞配達をして生計を立ててたんだ。
それで新聞配達の後に寝ちゃうんだよ(笑)、それで遅刻。
 宮澤さんはお弁当も自分で作って来てた。
これまた大きな弁当箱が2つ。ひとつはご飯だけ、おかずはジャガイモとか
焼いたニンジンだったかな?もの凄いドカベンだった。
 そんな僕らは稽古の前に雑談をして、そして必ず制作の話をしていたね。
「チケットは売れているのか?」とか「後、劇団のお金は幾らある?」とかね。
本番に向けての準備が沢山あるんだ。
それで、その時に強く思ったのが、先ず制作ありき!と言うこと。
当時の僕らの劇団は芝居が二の次状態だったね。
「芝居を打つ事はこんなに大変なことなのか!」

 あの時と今の僕は何も変わってないね(苦笑)
 何か少しでも成長しているんだろうか?

 全然ダメ。
 まだまだ未完さ。

 その時の僕らの芝居のタイトルは「友よ踊れ」
 今でもその時のチラシなどはファイルに残してあるよ。
 残念だけどビデオがないんだ。
 撮ったんだけど、すぐに紛失しちゃった。


 いま見ると、、、恥ずかしいだろうね。。。