レッスンで・・・平和に。

今日は毎週教え(レッスン)に行っている駅裏のタレント事務に行って来ました。
来週は小生のスケジュールの都合で休みにしてもらった事もあり、
事務所側からの要望で今週は2時限授業になりました。
一時限は1時間30分なので合計3時間の授業をやらなければいけません。
そこで事務所でレッスン生を待っていたのですが、、、誰も来ない。
やがて事務の人が小生に説明に来ました。
「今日の1時限目のレッスンには誰も来ません」
「えっ?・・・誰も?」
〜はて?事務所側からの追加授業なのに誰も来ない?〜の心の声。
「はい。2時限目からは二人来ます」
「あっそうですか・・・わかりました」
と言うわけで、、、小生、レッスン場で1時間30分、、、他事をして
2時限目に来る生徒を待ちました。
夏休みの平日。バイトやら大学の追試講義やらでレッスン生は来ない。
に、しても彼等彼女等の夢は大きい。
トップスターになれる事を夢見ている。
いつも最後は「頑張れ」と言ってくるのだが、
この話を妻にすると「お前が頑張れ」と言われる(苦笑)
20年以上、この田舎町で芝居をしてきたが、まさかこんなに
マスコミが後退するとは思わなかった。
小生が芝居を始めた20数年前は、まだ地元のテレビ局もたくさん番組を作り
地元のタレントや役者を使っていたが、、、今ではそのテレビ局が
番組を作らない。キー局の中継点に成り下がっている始末。
〜逆に小劇場は沢山出来、文化、芸術、マスコミなど根は広がる要素を持つ
恵まれた地域になったのに、上手く活かされてませんなあ〜
その代わり、タレント希望の子はどんどん増える一方だから飽和状態かも。
で、「君らマスコミやモデルの仕事あるの?」と聞いたら
どうやらネット上の番組やアパレル会社のモデルなどがあるらしい。
主は移りつつある、いつでも乗り遅れている小生。
 さてここで話は変わるが先日、TV取材のロケに行ってきた。
某市にある戦争資料館の取材。
避けては通れず、絶対に目を背けてはいけない事実。
理由はともあれ、戦争は悲惨な状況になる。
語り部の会が催され戦争体験者が話をし出す。
やがて客席から「この悲惨な体験を子どもたちにどう伝えるか?」
「絶対に伝えなければいけない」との声が飛ぶ。
撮影の終盤、出番も終わり、展示室で見学をしていたら80歳のおばあさんが突然話しかけてきた。
「私の青春は戦争でなくなった。あなたたちは兵役がないからいいわね。
男たちは戦争に行って、戦場で死に、戦場で餓死をした」と言われた。
生まれた時代が違えばこうも違うのか。本当に平和を願う。
おばあさんに返す言葉が見つからない。いくら小生が言葉を返してもうわっつらの
嘘になるからだ。2〜3のやり取りをしたが、やはりおばあさんの人生に
言葉を返すことは出来ない。
おばあさんは小生の対応に業を煮やしたのかさらに突っ込んできた!
「あなたはお幾つなの?あなたの年頃にはみんな戦争に行ったのよ」
小生も40になると生と死に痛みを感じる。
芝居でも「死」を軽々しく表現出来なくなる。
だから昨年、演出した蛙の作品にはどう表現すればいいかで苦しんだ。
「おばあさん大変だったんですねえ」で終わる問題ではない。
だからこそ、言葉が返せないのだ。
でも今度は更に力強い声で「お幾つ!」と言われたので、、、
「すいませんが、、、40なんです」と答えたら「えっ!」と言われた。
そしておばあさんは小生から立ち去っていかれた。
数分後、、、そのおばあさんとまた接近した。
今度はTVスタッフが話しかけられた。
「私の青春は戦争でなくなった。あなたたちは兵役がないからいいわね。
男たちは戦争に行って、戦場で死に、戦場で餓死をした」・・・と。


 私たちの「生」はどこから来てどこへ行くのか?
 宇宙の構造も説明がつかない。
 地球を飛び出して宇宙も飛び出したらそこに何があるのだろうか?
 とある博士は「膨張した宇宙はやがて萎む」と言った。
 それは「無」になる事なのか?
 「夢」になることなのか?



今日も「レッスン」に通う子がいる。それは夢を叶えるためにだ。
語り部の会で戦争体験者のおじいさんが言っていた。
「戦争のない世の中になってほしい」と、、、
力強く、
切々に、、、言っていたのを思い出した、、、。