呆れた

先日、某電気文化会館で仕事をさせてもらった。

話は今から20年程前になる。
僕は一時期、音楽事務所で働かせてもらった事がありました。
その当時の名古屋のクラシック音楽界は〜今でもそうかも知れないが〜
一年365日、必ず名古屋の夜では、どこかのホールでクラシックのコンサートが開かれていた。
それだけ供給する開館が増えた事による受給があったのだ。
ソロリサイタル、室内楽、オーケストラと様々なコンサートが開かれていた。
当然、それを主催する会社や、マネジメントを担当する事務所が沢山あった。
僕はそのマネジメントの事務所で働かせてもらった。

マネジメントの内容は多岐にわたる。
会館を押さえに行く。
公演のチラシ、チケット、当日のパンフ作成。
チラシの配布。
チケット販売。
各新聞社への訪問。
当日の小屋の面倒。
受付とか、弁当の手配とか、ケータリングとか。

これらを会社で、もしくは個人の事務所で引き受けて音楽家のリサイタルを
バックアップしているわけだ。

当時、僕の仕事はチラシを各公演に挟み込みに行く。
チケットを市内のプレイガイドに置きに行く。
公演当日、受付をする。 などなどだった(苦笑)



名古屋のマネジメントをする人たちは「大御所」が沢山いた。
中には「先生」と呼ばれるマネジメントをする古参の人もいた。
僕が働かせてもらってた事務所の代表もその中のお一人だった。

それぞれの先生がマネジメント事務所を立ち上げ、クラシックを支えていたのだ。

そして「誰もが大人」だった。

演奏家も、支えるスタッフも、会館も、みんなみんな。

どの会館にもスタッフが付いている。
僕はクラシックの事は分らない。
こんな僕にでも当時の「先輩」たちは優しく接してくれた。
そしてリサイタルには、絶えず緊張が舞台の袖にはあった。


今は、まったくそんな事が無い。


先日、久しぶりに某電気文化会館に入ったが、
まるで子どもだった。

あの当時。
会館のスタッフは、そのマネジメントの先生たちに敬意をはらっていた。
だからパーフェクトなくらいに動き、気づきコンサートを支えていたのだ。
つまり「仕事が出来る」人間が付いていたのだ。
そしてクラシックが好きな人たちが。


今では単なる「管理」の若い子が入っている。
だからなんのサポートもしてくれなかった。
こんな時代なのか?
単なる無能なのか?

後者かも知れない。


一時、NPO法人に参加してたことがある。
劇場の指定管理者になる為である。
この時に「劇場とは?」を考えさせられた。

公共であろうとなかろうと。
芸術や文化かが生まれる場所である。

その日しかないライブを共につくり出す事に変わりはない。


腹が立つ言動に我慢しながらも仕事は進めた。
しかし最後に客出しの最中に「楽譜を取りに行け」と命令して来た事に呆れた。
少なくとも僕は、客入れ・客出しの時に舞台に出るなと先輩から教えられた。

早く片付けて帰りたいと願う馬鹿な小屋付きスタッフに、
「客がいるだろう」と静止しても聞かなかった。

ここのホールに芸術や文化のモラルは無い。
とても残念だった。

腹が立ったので、怒鳴りつけてやろうかと思ったが、怒りを抑えて帰って来た。

ここ数年。
こんな事の繰り返しだ。
昨年は某芸術劇場のスタッフに対して、〜こっちは本当に切れた〜
声を荒げてしまった。

私たちはご理解とご支持をしてもらいたい。
勝手で一方的だが、
少なくとも劇場やコンサートホールは「私たちの味方」であってほしい。

そう願うこの数年である。